ブログの恥はかきすて

好きなことを書き散らします

メモ:SeamonkeyにFirefoxのアドオンを入れる方法

 目的によっていろんな複数のWebブラウザを使い分けてきました。

 基本的にはGoogleの各種サービスと相性が良くて、機能拡張が豊富なGoogle Chromeがメインで、用途によってGoogle Chrome CanaryとChromiumの3つを使い分けてきましたが問題が出てきました。

 

1. Chromeは重い

Chromeはリソースイーターなのので、タブを増やしていくと、どんどん重くなっていく。3つのChromeを同時に立ち上げてタブを増やしていくと重くてしょうがない。

 

2. Chromiumの機能が制限された

以前は、ChromiumChromeとほぼ同等に使えましたが、最近は一部のAPIが実装されていなくて、動画再生などで問題が生じることが出てきました。

 

3. Chrome系では不便なサイトがある。

多くは語りませんが、わかる人にはわかるよね(爆)。

 

4. Operaが怖くて使えなくなった。

これも皆さんご存じの通りです。

 

 ということで、最近はFirefoxを利用することが増えてきたのですが、これまた使い分けのためにSeamonkeyというmoziraのエンジンを使った互換ブラウザも使い始めました。

 基本的には問題なく使えるのですが、アドオンの互換性が低く、Firefoxの主要な機能拡張の多くが使えない。これは困った。

 

 調べてみたところ、Addon Converter for Seamonkey というWebサービスを作った人がいて、ここにFirefoxの.xpiファイルをアップロードすると、Semonkey用に変換してインストールできるようになる。

Extension Converter for SeaMonkey

 

 FirefoxのAddonページのURLを直接貼れるようにもなっているけど、試したところうまく動きませんでした。

 Firefoxの機能拡張はMacだと

~/Library/Application Support/Firefox/Profiles/(Profile名)/extensions

の下にあるので、1回Firefoxでインストールしてから、Seamonkeyに持っていくのがいいみたい。

 ただし、最近の機能拡張は「{d10d0bf8-f5b5-c8b4-a8b2-2b9879e08c5d}.xpi」みたいなリーダブルじゃないファイル名になっていないので、1回読ませてみないと判らなかったりします。

 

未来を大きく変える? マザボがクレカサイズになったCompute Card

 インテルが新しいコンピュータの新しいプラットフォーム「Compute Card」を発表しました。これ、PCだけでなく、家電や業務用のワークステーションまでいろんな分野に大きな可能性を与えてくれるんじゃないでしょうか?

pc.watch.impress.co.jp

 

 Compute CardはクレジットカードサイズのボディにCPU、メモリ、ストレージ、Wi-FiBluetoothなど、現在のコンピュータとして必要な機能をすべて揃えていて、対応する専用デバイスに接続して使用します。接続には、新しい専用規格のコネクタを使用し、USB Type-C、HDMI、DisplayPort、PCI Express相当の転送が可能です。つまり、PCのコアの部分、現在はマザーボードが担っている機能をクレジットカードサイズに納めたわけです。これはマザーボードのカード化なわけで、これによってコンピューティングのスタイルが大きく変わることが予想できます。

 

 たとえば、TVにCompute Cardを挿せばそれだけで、大画面 PCになりますね。まあ、これは現在もスティックPCで実現されていますが。今後はデスクトップPCやノートPCも、液晶やキーボードと外部コネクタだけのボディとなり、コア部分はCompute Cardを挿すだけ、というスタイルになっていくでしょう。PCのパワーが足りないと思ったら、Compute Cardを差し替える。もしくは、ひとつのCompute Cardを用途によってボディをデスクトップ、モバイルノート、タブレットスマホと取り替えていく使い方も考えられます。ちょっと未来には、クルマにも挿して使えるようになりそうです。運転中は音声で操作し、HUDに情報を表示する。

 ゲーミングPCや、科学計算用のワークステーションの場合は、複数のCompute Card用スロットを備えて、Cardの数を増やすことでパワーアップさせるという使い方もできるかもしれません。もしかすると何百枚もCompute Cardを挿したスパコンも登場するかも。

 現在Dell、HP、Lenovoやシャープといった会社と共同でデバイスの開発を進めているそうですが、もっと多くの家電メーカーや自動車メーカー、家具メーカーなども参加してCompute Cardワールドが拡がってほしいものです。

 

2017年はスマホで360度ライブ配信してVRで見るのが本格化するのかも

VRって、3Dのときみたいにコケるんじゃないかと思っていたんですが、最近急に「VRが本当に普及するんじゃないか」という気がしてきました。

 

VRが普及しないと思っていたのは、ビューアが高い、制作環境が高いし面倒だしで、ハードルが高すぎると思っていたからです。実際、VRの本命のひとつとされていたPSVR(Playstation VR)の国内の初期出荷は5万台前後と伝えられ、予想通りのスロースタートでした。

www.moguravr.com

 

VR関係のメディアは、年内にVSVRが全世界で140万台売り上げるという予測もしていますが、それもちょっと眉唾ではないかと思っています。なにより対応タイトル数が少ないしまだキラーコンテンツもない。こういった専用VR機器はまだまだ普及に時間がかかりそうです。

www.wareable.com

 

 

いっぽうで、Googleダンボール製VRゴーグル「Cardborad」など、スマホを使ったお手軽VRゴーグルがいつの間にか花盛りになっています。

https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_ss_i_1_4?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Delectronics&field-keywords=cardboard&sprefix=card%2Cundefined%2C245&crid=1NI2KS5TZXGXO&rh=n%3A3210981%2Ck%3Acardboard&tag=chrome00-22

 

YouTubefacebookTwitterなどのプラットフォームが続々と360度動画に対応しており、さらに最近はライブ配信もできるようになりました。

jp.techcrunch.com

 

gaiax-socialmedialab.jp

 

nlab.itmedia.co.jp

 

問題は、配信する機器の問題ですが、iPhoneに装着して360度ライブ配信ができる「Giroptic IO」という商品がまもなく発売されるようです。

価格は249ユーロ。出荷は1月17日から。

www.giroptic.com

japanese.engadget.com

 

前後に2つの魚眼レンズ(F1.8)がついていて、これをリアルタイムで貼り合わせて360度映像を作成するようです。

 

スポーツやコンサートやお祭りなどの様子をこれでライブ配信したら、楽しそうですね。

 

モノではなくコト(体験)を買う時代だとよく言われますが、ライブ配信のよる集客にも、記録画像をコンテンツにして販売するにも、カメラ、配信プラットフォーム、ビューワの3者が安価に揃えられる状況は好ましいものです。

 

あとは、キラーコンテンツの登場か…。

 

 

 

カウンターカルチャーを責めないで〜またはオーガニック原理主義の闇について〜

 佐々木俊尚さんのcakesの記事「反逆文化の成り立ち/アウトサイダーとしてのエリート意識【第5回】」という記事で、オーガニック原理主義カウンターカルチャーの関係について述べています。

 これは佐々木俊尚さんの『そして、暮らしは共同体になる。』の全原稿をcakesで公開する、という新刊プロモーションで公開されたものです。

 ここでカウンターカルチャーについて書かれていたので、ちょっと触れてみます。

 

■反権力、反体制育ち

 僕は反権力、反大企業、反大衆消費社会といったカウンターカルチャーが正しいとすり込まれて育った世代です。ぼくらが聞いてたラジオのパーソナリティとか読んでいた作家とかにそういう方向性の人がいて、そういう考え方が新しくて正しいと思ってきました。ラジオやテレビだと永六輔がそんな感じでしたし、作家だと初期の平井和正などのSF作家もそうだったし、朝日新聞の記者だった本多勝一著作も、中学校の美人の同級生に勧めらて読んで影響を受けました。その子は、イガラシさんという、美人でスタイルが良くて頭が良くて運動もできて、しかもリーダーシップがあって面白いことを率先してやる子でした。お父さんはたしか大学の先生だった気がします。その子がクラスの図書係になって、期限内に返さないと「図書裁判」にかけられるってルールを作った。で、ルールを破った奴が実際にでてきて、放課後クラス全員残って裁判をやりました。図書係が検事で被告には弁護人がついて、まあ裁判ごっこです。これが超楽しみでクラスがめちゃ盛り上がった。ただ、実際の裁判は正論が多くて最後はいまいち尻すぼみになって大盛り上がりで終了とはならなかったし、そのせいか2回目はなかったのですが、でも、あれは面白かったです。

 話がずれましたが、そういうクラスのちょっと面白い子から本多勝一の「殺す側の理由」や「殺される側の理由」を読んで影響を受けました。さらにその後、本多勝一がリコメンドしていた、宗教学者山本七平著作キリスト教に関するウソや間違いを暴きまくった「偽ユダヤ人と日本人」も読んで感銘したりしました。

 音楽も基本的に反体制な歌詞のフォークやロックの雰囲気がまだ残っていたりしてて、僕らの世代にとって、反体制って若者にとってデフォルトに近い感じがありました。

 

FUDで脅かす人は信用できない

 でも子供心にも、本多勝一の書いていることに全部納得したわけではなくて、例えば「田舎のおじいさん、おばあさんのほうが都会の人より正しいことを知っている」みたいなことを書いていると、普通に「そうかなあ?」と思いますよね。ずっと後の話で、アスキーで雑誌編集者になったときも、本多勝一南京大虐殺の際に日本軍人が軍刀自慢で中国人を100人切りしたエピソードを書いてたことについて、当時僕が担当していた筆者の国友正彦さんが、「僕の家は刀鍛冶の血筋なんですが、日本刀で100人なんて切れるわけがないんですよ」なんて話してて、やっぱそうなのかと思ったり。

 日教組の問題についても、高校生ぐらいから、そういう情報を発信するやつがいて、そもそも若者だから、既存のものに反発したいという気持ちがまずあって、反体制的な考え方を門前の小僧的に覚えたのだけど、さらに反体制の変なところにも気がついて、反・反体制的な考えも持つようになった。

 だから僕の中では、素直な子供時代にすり込まれた反体制的な姿勢がデフォルトになっていて、今の若い人達が体制よりの姿勢をとったり自民党を無批判に支持するのを見るとビックリしちゃうんですが、同時に、3.11をきっかけにした原発問題とか沖縄の基地問題に関連したオスプレイの配属問題とか見ると、反体制側の態度や姿勢についても疑問をもってしまって支持できなくなった。

 細かくはここでは触れないけど、反体制派の人達の意見って、基本的に科学的でも合理的でもないことが多い。反体制のプロパガンダの基本はFUDFUDってFear=恐怖、Uncertainly=不安、Doubt=不信の頭文字をとってFUDっていうんですが、放射能怖いよ、電磁波怖いよ、オスプレイは危険だよ、みたいにこれ使う人たちは基本的に信用ならない。まあ、ネトウヨFUDをよく使いますが、つまり、いわゆるパヨクもネトウヨも、相手を叩きのめして自分の主張を押し通したいだけの人々で同質だなと。信用できないし、支持できないという点では同じだと思っています。

 反体制のFUDといえば、大ヒットした『買ってはいけない』シリーズとか、最近だと『貧困大国アメリカ』シリーズとかが典型的だと思います。

 

■オーガニック原理主義者のFUD

 FUDで信用できないと言えば、佐々木さんがオーガニック原理主義と呼んでいる、自然食についての情報も同じですね。近年で有名なのは、ヤマザキの食パンが何日経っても黴びないという話。普通の家庭で作ったパンはすぐ黴びるのに、ヤマザキの食パンはなかなか黴びないのはおかしい。身体に悪い保存料が大量に入っているに違いない、という言説が定期的に流れてきます。これの答えは、家庭の台所は雑菌だらけなので、そんなとこで作ったのがすぐ黴びるのは当たり前。ヤマザキなど食品メーカーは高度な無菌状態で作っているから、未開封ならずっと無菌だからカビも腐敗も進まないし、開封してもそもそも雑菌まみれの家庭で作ったパンよりは黴びにくいのは当たり前。でも、オーガニック原理主義の人達は、「手作り」が何より尊いと思っているから、そこで思考停止してしまって、科学的な条件について考えるということをしない。

 同じく市販のペットボトルの緑茶は、中国で廃棄用の汚染されたクズの茶葉を使っているから危険だというのもときどき流れてきますが、これも典型的なFUDネタですよね。そもそも、大企業はそんなリスキーなことをしなくても、安全な茶葉を大量に買い付けて工場で効率的に生産した方がコストダウンできる。ここら辺も企業経営や経済の知識が少しでもあれば直感的におかしいと思えるはずですが、、思考停止しちゃっている人達はそこまで考えが回らずに、逆に信じてウソの情報を広めてしまう。

 

カウンターカルチャーはなぜ生まれたのか

 なぜ人はこんなに愚かなのか? 佐々木俊尚さんは、その根底には「多くの消費者は騙されている」「大企業は私たちを騙そうとしている」「政府は信用できない」という考えかたが背景にある、としています。そうなってしまう根本の原因については、カナダの哲学者ジョセフ・ヒースの著作を引用して、次のように紹介しています。

 1960年代から70年代にかけてドラッグ、ロックンロール、ヒッピーなどのカウンターカルチャーが生まれました。それが生まれた要員はふたつあり、ひとつは大衆消費文化の急速な広まりに対する反発、もうひとつは第二次世界大戦中のナチスドイツで蔓延ったファシズムの台頭があったことだというのです。ナチスドイツが行ったのは暴力で国民を支配する恐怖政治ではなく、国民をうまく扇動して喜んで協力させることでゲシュタポが処理しきれないほどの密告が寄せられたというのです。

 ナチスドイツがさまざまな宣伝で国民を洗脳して、戦争に向かわせ、ユダヤ人の大量虐殺をまで引き起こしたのは有名な話です。それゆえに欧米では政府や大企業など体制側は国民を常に騙そうとしているという不信感が基本的な態度として身についてしまっているということのようです。

 

ジョブズを殺したオーガニック原理主義

 佐々木さんの主張について、まずオーガニック原理主義カウンターカルチャーの結びつきの深さについては、僕もうなずけることがあって、たとえば、アップル創業者のスティーブ・ジョブズも、カウンターカルチャーやヒッピー文化の影響を強く受けたひとでした。それゆえにオーガニック原理主義的なところがあって、若いときは「林檎しか食べてないから風呂に入る必要はない」と言い放って悪臭を社内に振りまいて迷惑をかけたり、キャリアを積んで成功したあとも脾臓癌の診断を受け入れられずにマクロビ療法に走ってしまい、正式な癌治療を受けるのが遅くなってしまった結果、50代の若さで命を落としてしまいました。カウンターカルチャーを好む人は、オーガニック原理主義にもはまりやすいのは確かでしょう。

 また、大量消費文化への反発がカウンターカルチャーを生んだというのもだいたいうなずける話です。先日、アメリカ音楽史という本を読んだのですが、米国では米国発の文化の収集と定着を狙って整備された米国の民謡が、反大衆消費文化、反都市文化の宣伝メディアとして"フォークソング"となり、その反体制色が濃くなりすぎた結果として商業主義と相容れなくなり、レコード会社が「カントリーソング」というカテゴリを別途立ち上げて、両者は別々に進化することになったそうです。

 

ナチスドイツだけが国民を騙したの?

 ただ、もうひとつの根拠であるナチスドイツのプロパガンダに騙された経験が政府や企業を信用しない態度を形成しているという話については、ちょっと疑問があります。ナチスに騙されたのはドイツ国民であって米国やカナダの国民ではないからです。日本でも政府や企業の発表を「大本営発表」と第二次大戦中の戦意高揚のために水増しされた戦果の発表になぞらえて揶揄することがよくありますが、そもそも、国が国民を騙すことはナチスドイツに限らず世界共通で行われていることです。

 とくに米国は陰謀が得意で、近年ではイラクに「大量破壊兵器」があると主張して、国連各国までたきつけてイラク侵略戦争をしかけて、それなりに幸せだった国をメチャクチャにしてしまいました。米国はその前の湾岸戦争のときも偽のクエート人に議会で演技の証言をさせたとか、第二次世界大戦でも対ドイツに参戦するためにウソの理由を作って国民を騙したとか、その手のエピソードに事欠きません。日本の南京大虐殺も、米国が日本を悪者にするために捏造したのがそもそもで、後に中国がそれをさらに利用したという説も、もしかしてそうかな、と思わせられます。

 僕が思うに、国が国民を騙してきたのは、歴史上普遍的な現象で、情報公開制度などが発達して国がウソをつきにくくなった現代の状況のほうが特殊なのではないでしょうか。カウンターカルチャーの原因にナチスのプロパガンダへの反省があるというのは、それ以外の政府は正直だったという前提があるのでちょっと無理があるんではないかなと。

 ちなみにAmazonで、『貧困大国アメリカ』を検索したら、著者の堤未果さんの本に『政府は必ず嘘をつく』というのが、政府が嘘をつくのはナチスだけでないことと、カウンターカルチャーの基本姿勢が政府を嘘つきと見ることであるのが、よくわかります。

 

カウンターカルチャーは人間にとって当たり前の事象

 カウンターカルチャーの元になっているには、もっと根本的な人間の欲求があると思います。人間には「寄らば大樹の陰」と大きなものに依存したい、家や村や会社など組織に所属して安心して暮らしたいという帰属欲求、帰属心と、逆に自分の力で生きていきたい、権力者や組織に縛られたくないという独立心の相反するふたつの気持ちがあります。

 これを有名なマズローの5段階欲求、つまり生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、自我欲求、自己実現欲求の5つに当てはめると、帰属したい心は安全欲求や社会的欲求にねざし、独立心は自我欲求や自己実現欲求に根ざしていると考えられます。

 佐々木俊尚さんは、オーガニック原理主義者は「アウトサイダーとしてのエリート意識」から「自分だけが、ほかの人の知らない真実を知っている」と優位に立ちたい、そのためは、「大衆はつねに騙される存在でなければならず、騙す存在がいなければならない」と、構造を解き明かしています。これも根源にあるのは、ナチスへの忌諱というよりは、自我欲求や自己実現欲求の歪んだ形と捉えた方がわかりやすいのではないでしょうか。

 考えてみれば、この現象はオーガニック原理主義に限らず、いまのネットでは、誰かを「情弱」と罵倒しながら、自分こそ真実を知るものとして勝ち誇るマウンティングゲームとして、頻繁に見られるものです。

 カウンターカルチャーじたいは、人間の独立心や自己実現欲求が生み出す自然な産物であり、人間が生きる限りはあり続けるでしょう。たとえば、江戸時代の黄表紙本とか川柳にもカウンターカルチャーを感じ取ることができるように。カウンターカルチャーじたいは否定されるべきものではないと僕は思います。

 

■本当に問題なのは似非科学

 オーガニック原理主義の本当の問題は、科学的に間違った情報が安易に流布されることにあって、そこには詐欺や似非科学や迷信の類が沢山あり、結果的に健康被害を引き起こす可能性があるということです。ジョブズのように正しい癌治療を受ける機会を逃して、みすみす命を落としてしまうことが実際に起きているのです。

 この話は、例のキュレーションサイト問題にもつながります。本当の問題はカウンターカルチャーではなく、似非科学なんじゃないでしょうか。

 

未婚・少子化の対策のためには、従来の家族や結婚の制度を止めた方がいい説

SPA!の記事を読むとゲンナリする。基本的に人の不幸をのぞき見て「自分はまだマシ」と安心するための、独身不幸ネタの嫌らしい記事が並んでいる。

この手の記事に登場する不幸な独身中年男性は、不器用で無趣味。仕事以外に社会と接点がなく、病気になって仕事をしなくなると社会と縁がなくなって、最後には孤独死が待っている。

まあ、こういう人は昔も今もいるだろうけど、今の日本の未婚率がどんどん上がっているのは、まったく正反対の人が増えているからじゃないか。

簡単に言って、みんな、楽しすぎるから結婚しないのだと思う。

昔は情報の流通量も少なかったし、人間関係も狭かった。そんな中で、恋愛や結婚は人生の中で重要な比率を占めていた。しかし、今はネットを通して膨大な趣味の情報に常に接触し続け、同好の士と常にコミュニケーションを続けることができる。

 

僕は、SNSを通じて、読書やアイドルやゲームなど、いろんな趣味の知り合いができたけど、みんなとても楽しそうだし、とても忙しい。

僕みたいに、いろんな趣味を掛け持ちして、仕事も家庭もそこそここなして、というのではなく、ひとつの趣味にどっぷりハマって、そこで趣味の友達もできて…という様子を見ていると、羨ましいくらいに、とても楽しそうに見える。彼らのプライベートにそんなに詳しいわけではないけど、あれだけ時間とお金を趣味に注ぎ込んでいたら、異性と付き合っている暇なんてないだろう。

とくにアイドル趣味とか、アニメ趣味とかの人達は、自分の理想に近い異性を常に目の当たりにしているのだから、現実の異性に注意を払っているヒマなんてないだろう。

「アイドルやアニメとかの特殊趣味の話を一般化するな」という意見もあるだろうが、福山雅治堀北真希が結婚してショックを受けている人も似たようなものである。

 

人が恋愛したり結婚したりするのは、一人では寂しいからだ。でも、今の日本では、趣味のひとつもあれば、寂しいなんてこと、まずない。いまのままでは、いくらメディアや行政が少子高齢化の危機を説いても、きっと効果なんか出ないだろう。

ちなみに、少子高齢化は日本だけでなく世界的な問題で、人口抑制のために一人っ子政策をとった中国も近い将来人口減少期に入るし、アフリカでさえ、すでに人口爆発期はすぎつつあるらしい。

インターネットが世界規模で普及して、本格的な高度情報社会に突入したいま、僕らは情報の快楽に溺れて、恋や結婚を必然としなくなってしまった。かと言って、いまからインターネットを遮断したり、アイドルやアニメを禁止するわけにもいかない。

保守反動勢力は、古い日本の家族制度を復活させようとしているけど、少子高齢化対策としては、それはむしろ逆効果になるだろう。むしろ、今の家族制度をやめて、シングルマザーやシングルファザーが気楽に子供を作って、自分の趣味と子育てを両立できるような社会制度を作らないと、日本はどんどん衰退していくばかりになると思う。

 

 

君の名は。とシン・ゴジラと細部にこだわるヲタクの限界について

君の名は。』をようやく見ました。1カ月ほど前に平日ふらりと映画館に寄って見ようとしたら満席で、「え? 公開から日にち経っているし、平日なのに?」とビックリ。反省して、前もってネットでチケット予約して行ってきました。早めにチケットを確保したでの、中央の一番良い席で見ることができました。

 

■細部はいろいろ気になる

 感想はといえば、最初は細かい疑問がありました。特に主人公ふたりの入れ替わりについては、同い年とはいえ、お互いの存在をまったく知らなかった2人が急に入れ替わって、誤魔化しながらも日常生活を営むことが本当にできるのだろうか? というのが最初の疑問。男女の入れ替えといえば、大林宣彦の名作『転校生』ですが、あれは同じ街に住む同級生ですからね。いろんな状況を共有しててお互いのみが入れ替わったからあまり無理を感じなかった。

 でも大都会・東京に住むイケメンボーイと飛騨の山奥で代々神職の家に生まれた少女が入れ替わって生活が成立するのか? はかなり気になるところ。でも、そこのハテナこそ、観客の興味を引き込むひとつの釣り針だったと思います。

 思えば、細部にはいろいろ釣り針が仕掛けられていました。物語のひとつのキーになる「口噛み酒」についての姉妹の掛け合いも、たしかに違和感あるのですが、その違和感こそ新海誠が仕掛けた釣り針だと思うんですよ。9歳と16歳があんな会話するのか? 中のおっさんの妄想じゃないのか? みたいな感想もあるみたいですが、全然ありうると思います。世の中には子供らしい子供もいるけど、中身が最初から大人な子供もいるんです。僕自身がそうだったから、その手のお子さんに会うと一発でわかります。逆に自分の子供が、本当に絵に描いたような子供だったので「子供らしい子供って本当にいるんだ!」とビックリしたくらいです。

 芸能界を見ても、芦田愛菜ちゃんなんて、8歳くらいから中身が大人だった感じですが、いま世界を席巻中のアイドルユニットBABYMETALのMOA-METALこと菊地最愛ちゃんも、小学生の頃から「アイドルだけどアイドルオタク、ちっちゃい大人」と自己紹介ソングで歌っちゃうくらいにオヤジの心を知り尽くしていたことで知られています。

 

■ディティールにこだわった2つの作品の本質

 閑話休題。『君の名は。』の魅力は、アニメであるにも関わらず、細部まで非常にリアルに構築された日常世界の描写や主人公達の感情描写にあります。だからつい、“すべてがリアルでなければいけない”というトラップに、特に細部にこだわるヲタク層がハマってします。それでヲタクはディティール論をあれこれ展開するわけですが、物語の本質はそこではないでしょう。置かれたありえない状況の中で、主人公達が何を感じ、何に挑み、何を成し遂げたか。そこが物語の本流で、細部の描写は物語世界を補強する足場に過ぎないのに、なぜかみんな「彗星が…」とか足場の話ばかりしている。

 足場ばかり話題になるといえば、『シン・ゴジラ』も同じです。これも僕は大好きな映画なんですが、自分の中でこの映画について何を語るべきなのか、ずっと整理できていませんでした。確かに『シン・ゴジラ』の作り込みは凄い。膨大な登場人物たちが延延と会議と調査を重ねながら、ゴジラ対策を立案し、実行していく。そのプロフェッショナリズムの描写がとてもカッコ良くて震えたのは僕も同じです。でも、「シン・ゴジラは会議が長いから凄いんだ」とか、「自衛隊の出動シーンで『宇宙大戦争マーチ』が使われているから凄い』とか、本質ではないですよね。確かにそこもいいのだけど、所詮は足場の話です。物語の核ではない。

 『君の名は。』と『シン・ゴジラ』は、実は物語の核の部分は同じモノを描いていたと思います。それは「勇気」と「共感」です。小さな個人の力ではどうしようもない圧倒的な「力」を前にしたとき、人はどう行動するのか? 普通の人は逃げるか諦める。でも、主人公は全力で逃れられない運命に抗おうとする。そして、それに共感して一緒に戦ってくれる人たちがいる。助けてくれる人がいる。僕らはそういった「勇気」と「共感」を目撃したときに感動します。

 今はフィクションでもノンフィクションでも、いろんな勇気と共感が取り扱われ、作品化され、商品化され消費され続けています。そんな中でもこの夏、君の名は。』と『シン・ゴジラ』が大勢の人に支持されたのは、そこに示された勇気と共感がとても力強く納得のいくモノで、観客の僕らも一緒に共感できるものだったからでしょう。

 

■ボーイ・ミーツ・ガールのいろんな答え

 シン・ゴジラ』の場合、ゴジラという未曾有の災難とどう戦うのかと、そこで示される「智恵と勇気」が大きな一本の太いテーマになっていました。君の名は。』はそれに加えて主人公の少年と少女の関係はいったいどうなるのか? というもうひとつのテーマがありました。いや、むしろそれこそが君の名は。』の本質であり、絶大な脅威に対する勇気と行動のエピソードですら、2段目の足場でした

 「ボーイ・ミーツ・ガール」という普遍的な物語構造に対して、過去に膨大な物語が作られてきて、新海誠もそのテーマでずっと作り続けてきた作家です。僕はその全部を見てきたわけではありませんが、思春期の細やかな心のひだの描き方こそ新海誠作品の魅力のひとつであると言えるでしょう。でも、青春の描き方の細部ばかりに注目して「新海誠作品はみんな同じ」と切り捨ててしまうのも、木を見て森をみないディティール偏重主義なんじゃないかと思います。

 僕が君の名は。』に感動したのは、やっぱり物語が良かったからです。少年と少女の強い思いが、いろんな不可能を乗り越えていく。そこに感動したから、小さなディティールは最後には目に入らなくなる。青春の物語作家として、新海誠は順調に進化していると思います。

 

ディティール好きオタクの限界 

 「ヲタク(オタク)」という言葉は、会話のときに相手に向かって「お宅は(何が好きなの/どう考えているの/etc.)?」という問いかけ方しかできない、一部の不器用なマニア層を指す言葉として発明されました。僕自身も典型的なマニア気質で、趣味の話をするのが大好きで、いまだに暴走することもありますが、でも氾濫するディティール論にはちょっと違和感を感じます。

 ディティールが不要とは言いません。あの勇気に共感できるのは、細かに積み重ねられたリアルな物語世界があったからです。でも、ディティールばかり気にして、その一部が自分の知識や常識と異なるからと言ってケチをつけるのはお門違いですし、自分の気に入ったディティールの話ばかりするのは、作品の話をしているのではなくて、自分の趣味の話をしているだけです。

  ヲタク語りは、それじたいがコンテンツになるくらい面白いものにもなり得ますが、物語はもっとキャラクターやエピソードの魅力で語られるべきだと思うのです。

 僕の好きなシーンをひとつあげると、君の名は。』では、美術の時間にヒロインの三葉が思いっきり机を蹴飛ばすシーン。ホンの数秒のカットですが、あそこにいろんな要素が詰まっている。そういう説明的で無くいろんなことを説明してしまうのが映像作家として深海誠の凄いところだと思います。

 『シン・ゴジラ』では、「仕事ですから」と「良かった」ですかね、やっぱ。

 

 

ポケモンGOのサーチアプリが全滅した件

 10月7日の早朝、ポケモンGOのトレーナーの間に衝撃が走りました。懸念されていたXデーが来てしまったのです。ポケモンの隠れている場所をGoogle マップ上にマッピングしてくれる非公式のサーチアプリやサービスが全滅してしまったのです。

 今年7月にサービスが開始されたポケモンGOですが、「すぐ飽きる」とdisられながらもブームは相変わらず続いており、先日も米国のAppStoreランキングで1位に返り咲きました。国内でも、ポケモンが効率的に捕獲できるスポットやレアポケモンが出現しやすいお台場などは、もう寒くなってきたのに相変わらず大勢の人が詰めかけています。

 この熱心なポケモン・トレーナーたちの常用ツールと化していたのが、「P-GO Search」などのサーチアプリでした。ポケモンGOのサーバに、正規のアプリのフリをしてアクセスし、隠れているポケモンの位置情報その他を取得してきて、地図上に指し示してくれます。それだけでなく、消滅までの残り時間、現在地から向かって間に合うかの予測、指定したポケモンの出現通知や過去の出現履歴表示など、P-GO Searchはポケモンを効率的に捕獲するためのさまざまな便利な機能を備えていました。

 僕もレベル25までは、これらのサーチアプリは「邪道」と使っていなかったのですが、Twitterで情報収集してみると、みんな凄い勢いで国内142種のポケモンをコンプリートしているのを知り、自分もコンプしたい! と遅まきながら9月中旬から使い始めました。

 ポケモンGOポケモン集めは、サーチアプリがなくても、もちろん、なんとかなります。僕も100種類弱までは自力で集めました。しかし、サーチアプリの導入と、ネットで収集したポケモンの巣や生息地の情報を活用することで、ポケモン集めは恐ろしく効率化しました。

 サーチアプリ導入前のポケモン狩りはこんな感じでした。

  1. ポケモンがいそうな場所を歩く
  2. ポケモンの「影」が出たら付近を歩き回って捜索
  3. 運良く遭遇できたらゲットする
  4. 新しいポケモンなら図鑑に登録される

 

 サーチアプリ導入後はこうなりました。

  1. 欲しいポケモンを決める。
  2. 進化元となるポケモンの巣に行く
  3. P-GO Searchで出現場所を特定し乱獲
  4. 必要な数が集まったら進化させて図鑑の空欄を埋める

 このやり方でポケモンGOはまったく違うゲームになりました。ポケモンとの偶然の出会いに頼るのではなく、目標を決め、作戦を立て、情報交換しながら状況を俯瞰し能動的に捕獲作戦を実行する。映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』で、おとり捜査員との待ち合わせ場所に来る連続殺人犯を、多数のカメラと隠れた捜査員の目で監視して捕獲しようとするシーンがありましたが、P-GO Seachによるポケモン捕獲は、司令室で指示する指揮者と、現場で犯人確保に奔走する捜査員の両方の体験を同時にしているようなエキサイティングな楽しさがありました。

 それは、恐らくNiantic社が想定していたノンビリとしたゲームとはまったく対極にある集団ハンティングゲームでした。ひとりでやっていたとしても、有名なポケモンの巣でなくても、レアポケモンが現れるとどんな深夜でもあちこちから人が現れてきて、ポケモンを捕獲しようとしてました。組織化されていないのに統制だって行動するハンター群でした。「あのころの僕らは、ポケモンGOではなくP-GO Searchというゲームをプレイしていたのだ」という指摘がどこかで書かれていたらしいですが、確かにその通りだと思います。

 P-GO Searchのおかげでポケモンの捕獲は効率化し、かつエキサイティングになりました。その一方で、ジムバトルに強い激レアポケモンラプラス」を求めるポケモン・トレーナーたちがお台場など各所で騒ぎを巻き起こしたり、最強の「カイリュー」を作りたい人達が、上野不忍池周辺で参拝者とトラブルを起こして、ポケモンGOの禁止の事態にまでなってしまいました。

 こういった過熱状態を作り出した原因が、P-GO Searchなどのサーチアプリにある、という指摘は間違ってはいないでしょう。

 サーチアプリは、一部の超ガチ勢だけの楽しみだった早期の図鑑コンプを誰でも目標にできるよう敷居を下げてくれて、ポケモンGOの人気上昇と継続に大きな役割を果たした一方で、過熱させすぎたせいで社会問題まで引き起こした、というのが客観的な評価と言えると思います。

 一方でP-GO Searchは、危険なポケモンの出現地点(ポケソース)の情報共有による安全性の確保などにも一定の努力をしていました。そもそもコンピュータとは「知的自転車」であり、自転車が人間の移動能力を補助強化するように、智恵をもって解決すべき事項があればそれを補助して解決しやすくするものです。その点、ポケモンGOは、コンピュータの力によって問題解決をしやすい案件だったため、サーチツールの出現も予測されるべき必然だったと思います。

 しかし、サーチアプリの出現は、ゲームとしてのポケモンGOの消費ペースを速めすぎるという問題もありました。本来、ポケモンGOは僕らのリアルな生活圏にバーチャルなポケモンの存在を重ね合わせることで、AR(拡張現実)アプリとしての初めての大規模な成功例でした。Niantic社のジョン・ハンケCEOが「まだ10%しか実現していない」とする残りの9割には、単なるゲームの枠を超えた展開があるのではないかと勝手に想像しています。アニメ『電脳コイル』みたいな世界が、ポケモンGOによって実現化される可能性だっておおいにあると思います。

 このままサーチアプリを野放しにすれば、ポケモンGOは単にポケモンをコレクションするアプリとして人々に認識され、飽きられてしまう可能性がありました。だから、ポケモンGOの人気拡大に果たした役割もあったとしても、運営としてはその存在を認めるわけにはいかなかったのでしょう。

 しかし、時計の針を巻き戻すことはできません。一度、サーチアプリの効率を知ったトレーナーたちは、かくれているポケモンの距離も方角もわからない現状にストレスを感じているはずです。Niantic社は現在開発中といわれるかくれているポケモンの距離や方角をある程度ガイドできる機能を早期にリリースできるように努力すべきでしょう。

 また、サーチアプリも完全に死に絶えたわけではなく、海外では早くも「FastPokeMap」というアプリが、復活ののろしを上げ始めています。運営とハッキング系ユーザーのイタチごっこも、まだしばらく続きそうです。

ポケモン地図「FastPokeMap」をインストールする方法

 

 

ポケモンGO 強いポケモンの育て方 〜レベル25への道〜

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