夏の高校野球を女子高生がダンスで応援
YouTubeでたまたま見た、夏の高校野球をテーマにした女子高生によるダンス動画。
キレキレのダンスに、プロのダンサーが高校生の格好で踊っているのかな? と思ったけど、ちゃんと本物の高校生だけでやっている。大阪府立今宮高校のダンス部員107人だそうで、女子高生だけでなく、男子も混ざっている(ダンス部員だけで107人もいるのか!)。歌と演奏も府立金剛、桜塚、泉陽、金岡、大阪市立都島工の各高校の軽音楽部員9人によるミックスバンドだそうだ。
知らなかったけど、これはもうすぐ100年目を迎える夏の高校野球を盛り上げるために去年からやっている朝日新聞による企画。今年はロックだけど昨年は吹奏楽になっていたり、いろいろと違うので見比べると面白い。
こちらは、メイキング動画。
朝日新聞の公式動画はコメントできないので、わざわざ複製をアップロードしてコメントしている人達がいて、AKB48の悪影響みたいなことを書いている人がいるけど、さすがに関係ないでしょう。CMの中で踊っているダンスは、AKB48よりはかなり運動量の多いハードなもので、振り付けも全然アイドルっぽくない。
今はダンスがスポーツや歌と同じように表現の手法として、若い人達の間で定着している。僕は毎日、東工大のキャンパスを通って通勤しているのだけど、夜、照明もない真っ暗な中で、学生達がダンスの練習をしている風景をよく見る。それも多いときは3グループくらいいたりする。日本の理工系大学のトップの秀才たちの中にも、ダンスに汗を流す人達がけっこうな数いるということは、やっぱダンスが文化の中に定着してきていて、だからこそ、朝日新聞も高校野球を盛り上げる手段に選んだのだと思う。
それが成功しているかどうかは、わからないが、頑張っている若者の姿はいつだって凛々しく美しい。おっさんはそういうのに弱い。ダンスをCMに使うことを選んだのは、若い層だけでなく、おっさん層へのアピールも狙ってたりするのかもしれない。
10代はニコニコ動画を見ないって本当?
なんか、こんなニュースやまとめが話題になっていますが、どうなんでしょう。
「10代の若者のニコ動離れ」みたいな話ですが、何かの統計データとかじゃなくて、ある人が個人的に知り合いの10代から「ニコニコ観ないです。なんかダサいじゃないですか。デザインとかやってる人たちとか」って言われたというだけの話。
その小さな個人的なエピソードが、まるで世の中を代表したエピソードであるかのように広まっていく不思議。
ちなみに、僕の中学生の姪っ子は完全にニコ厨です。学校のパソコンクラブでずっと東方の動画を見ているそうです。家でも、親になんと言われても隠れてスマホで見ているらしい。んでもって、「リア充爆発しろ」とかリアルに発言しちゃう。その弟の小学生はゲーム実況を見まくっています。
先日も、ニコニコ超会議に仕事も兼ねて行ってきましたが、そこにはニコ厨らしき10代の子がいっぱい来ていました。イベントの主役は彼らだったと思います。20代や30代、僕みたいにもっと上の人達もいましたが全体的には若い人達のイベントでした。僕が15時前くらいに引き上げようと幕張の駅に向かっている間も制服着た女子高生が入口に向かっているのと何人もすれ違いました。
もちろん、ニコニコ動画を見ない10代もいる。僕の娘も中学生で、りりりちゃんや足太ぺんたちゃんなど、ニコ動の踊り手さんにずっぽりハマっていますが、なぜかニコ動で見ないでYouTubeで見ている。「アカウント作ればいいじゃん」と言ったのですが、「いや、いいや」と作らない。YouTubeは作らなくても見られるのに、なんでアカウントをわざわざ作んなきゃいけないのか、と思っているのかも。ひとつ上の姪っ子にニコ動の面白さをまくしたてられても「何を言っているのか、よくわからない」と。姪っ子は無料アカウントなので、ニコ生見てても、優先権のある有料アカウントが増えると追い出される。それもバーチャルにリアルを持ち込む体験として姪は面白がっているけど、SF的な感性があまりない娘には理解できないみたい。
ニコ動というのは、そもそも万人向けのプラットフォームじゃなくて、マンガ・アニメ・ゲームが好きで2chが好きだったり、厨二病の傾向があってリア充を敵視するような人達のための場所なんだと思う。ただ、ニコ動で生まれるコンテンツや文化は、ニコ動の外にいる人達にもYouTubeを通じて届き、支持されている。
この前のGW中に、姪と甥と娘を連れてカラオケに行ったのだけど、姪と娘は歌ったり聞いたりする音楽についてはかなり共通していて、ハニワ(HoneyWorks)とか、40mPとかニコ動を拠点とするボカロP出身作家たちの曲を一緒に歌っていた。娘は小学校までは、ボカロは全然聞かなかったのだけど、中学に入って同級生の影響で聞くようになったみたい。YouTubeでたまたま出会ったりりりちゃんをきっかけに、彼女がダンスのBGMに使っている楽曲を追うことでボカロ曲を知ったというのもあるみたいだけど。
つまり、ニコ厨の子もそうでない子も、似たようなコンテンツを違うプラットフォームで触れて楽しんでいるわけで、それはもう好みの違いとしか思えない。
今回の「10代はニコニコ動画見ない」という根拠のない話がなぜ広がったのかというと、「ニコニコ動画はもう終わり」と言いたい、思いたい人がそう言っているだけの話なのだと思う。人は自分が見たい情報しか受け入れないし発信しない。「ニコ動はオワコン」と言う人は、ニコ動を熱心に見たことがない人や、昔見たけど、最近は見なくなった人達なんじゃないか。
というか、みんな一世を風靡したものは、いつかは廃れて欲しいと願っている。その願望が表出しただけの話なんじゃないかと思います。
「そうめん」派ですか? 「冷や麦」派ですか?
小学生の頃、静岡県に住んでいた。長野方向に遊びに行った帰りに、夕飯を食べたとき、2つの新しい食べ物に出会った。冷や麦とイナゴの佃煮だ。「冷や麦って何だろう?」と思いつつ頼んでみたら出てきたのは「そうめん」みたいなものだったが、食べてみたらそうめんよりも腰があって歯ごたえが良かった。以後、僕は冷や麦派になった(イナゴの佃煮も美味しくいただきました)。
そうめんって、嫌いではないが、あまり好きな食べ物ではない。麵が細すぎるのだ。どこの家庭でも夏の休日の昼食はそうめんが出てくる率が高いのではないか。僕の実家もそうだったけど、今もそうめんがよく出てくる。でも、そうめんは細すぎて、なんか食体験として物足りない。「食べた」気がしないのだ。始末の悪いことに、そうめんは細いほど高級な物として有り難いことになっている。
今日の昼も、奥さんが麵を茹でているので、「何を茹でているの?」と聞くと「そうめん」と答える。
「えー、僕は冷や麦が好きだといつも言ってるのに」
「冷や麦は、安売りにならないから、買わないの」とにべもない。
まあ、食べ盛りの体育会系中学生男子を抱える我が家としては、コストパフォーマンスが非常に重要なことはわかるのだが。
ところが出てきたのは、そうめんではなかった。かなり太い。
「これ、そうめんじゃないでしょ?」
「うどんだって」
さっき、「そうめん」って言っていたじゃん。アバウトだなあ。とはいえOK、OK。うどんは太いから好きなのだ。
NIKKEI STYLEの“「そうめん」と「冷や麦」、違いは何なのか"という記事によると、JAS規格では、長径1.3mm未満が「そうめん」、1.3mm以上、1.7mm未満が「冷や麦」、1.7mm以上が「うどん」、幅4.5mm以上で厚さ2mm未満が「きしめん」なのだそうだ。個人的にはそうめんの細いのが不満足なだけだから、太くて歯ごたえがあれば冷や麦でもうどんでもきしめんでもOKなのだ。
ちなみにパスタにも、スパゲッティーニやカッペリーニという細麺があるが、これは実は好きだ。パスタはトマトソースや唐辛子とガーリックのオイルなどしっかりしたソースに絡めるから、麵が細くても食べ応えがないということがない。そうめんが柔らかく茹でるのに対し、パスタはアルデンテで歯ごたえを残すという違いもある。
そうめんや冷や麦派は、麵つゆがあっさりしているから、麵の実力がより食感を左右する。食べることになると「味」や「香り」が話題の中心になりがちがけど、僕は「歯ごたえ」も凄く大事だと思っている。咀嚼の快感こそ、生きる喜びだと思うのだ(大袈裟)。
ブログが面倒くさい理由
ブログが終わったメディアだと言われた時代もあった。というか、去年、大学生に「ブログなんて終わっている」と言われた。
確かに、万人が気軽に自分の言葉を垂れ流すメディアとしての価値は、Twitterやfacebbokにとってかわられた。同好の仲間を集めてコミュニティを形成する機能はLINEに持って行かれた。
しかし、一方でまとまった意見を蓄積する場所としてのブログはむしろますます重要度を増している気がする。BLOGOSやハフィントンポストみたいなブログプラットフォームがニュースメディアの一画を占めるに当たって、オピニオンの供給源としてのブログは不可欠の存在になった。
もちろん、ブログに掲載されるオピニオンが全部正しいわけでも、的を得ているわけでもない。むしろ、大半がピンぼけや思い込みや勘違いを含んでいる。
しかし、そもそもマスメディアが思い込みや勘違いや意図的なバイアスの塊なのだから、ソーシャルメディアてあるブログか玉石混交なのは当たり前のことだ。
僕はずっとブログを勘違いしてきた。ブログにはちゃんとしたことを書かなきゃいけないと思い込んでいた。
ブログの投稿画面に向かうと、想定読者やフック、ビジュアルのバランス、表記の正確性など、いろんなことが気になって、なかなか筆が進まない。執筆に時間がかかる。出来上がったものが、満足できない。
普段、Twitterやfacebbokに書いているアウトプットの量を考えたら、ブログにまとめた方が、自分のブランディングになると思っても、なかなかできなかった。
それは、アスキーで編集長してたとか、自分の名前で本を出したことがあるとか、自分は一応プロだったとか、つまらない過去に囚われていたからだと思う。
昔、六本木ヒルズの本屋で立ち読みした自己啓発書にいいことが書いてあった。
「過去は支払い済みの領収書と同じだ。未来にはなんの意味も成さない」
というわけで、これも自分の中では何度目かの過去からの卒業宣言なのだが、ここで世の中に対してハッキリと宣言したい。過去は過去。
今の自分はただの一般人なので、もうブログの文章にはこだわりません。書き出しにこだわらない。構成にこだわらない。長さにこだわらない。読者を想定しない。推敲もなるべくしない。(1回読み直すだけ)
とにかく、書きたいことだけを書いてみる。それでやってみます。
何度目かのブログ再起動
昨日、BuzzFeedの伊藤大地さんの話を聞いて、もう1度ブログをしっかりやってみようと思った。前からやんなきゃとは思っていたのだけど。
伊藤さんに聞いたのは、BuzzFeedの記者は2種類に分かれて、報道系は元新聞記者、エンタメ系はブロガーなどソーシャルで人気を集めている人ばかりなのだとか。
BuzzFeedで、記者になりたい若い人は、まずソーシャルでどれだけのパフォーマンスを発揮できているかで選別されてしまう。
僕らの若い頃はそんなことはなかった。僕はまったく実績なしに月刊アスキー編集部に潜り込んで、そこでいろいろ修行させてもらった結果として、自分の名前で本を出すところまではいけた。伊藤さんだって、インプレスに就職したときはそうだったみたい。
「こいつ面白そうだから」「根性ありそうだから」で、メディアの世界に入れた幸せな時代。
いまは、「言うことは面白いけど、じゃあ、まずは自分でやってみたら」と言われてしまう。でも、これってなかなかハードルが高い。いつでも再チャレンジできるといえばそうだけど、なんか「やってやるぜ」と身構えると、余計にできないし、面白い物なんてできない。
僕も年をとって経験値は増えたけど、その分腰が重くなってしまった。
だからもう、初心に返って、もう1度書きたいことを書き散らしてみようかと思う。
Twitterのサブアカくらいに気軽に。ソーシャルの恥はかきすて(<危険です)。
はてなキーワードを編集するには、はてな市民になる必要があって…
本が好き!のSEO対策をしていて気がついた。
はてなキーワードの「本が好き!」のURLがライブドア時代の古いままだ。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CB%DC%A4%AC%B9%A5%A4%AD
「本が好き!」は僕がライブドアを辞めるときに「作りませんか?」と提案し、僕がずばぴたテックとしてシステム開発を、ライブドアがデザイン、サーバー、営業、流通を担当するという約束で実験的に始めたサービスだ。
出版社から献本をもらって書評ブロガーにとどける、いわゆるブログPRサービスのハシリとなったサービスだが、あまりうまくいかず、結局、ライブドアは手を引いて僕が一人でやることになった。
最終的にはすべての権利をライブドアからもらって、元々のbuzz-pr.comのURLも渡してもらうはずだったのだが、ライブドア側のミスで更新が行われず、権利は失われてしまった。
その古いURLがはてなキーワードに掲載されたままなので、今のhttp://www.honzuki.jp/に書き換えようとしたら、「はてな市民」じゃないから、できなかった。
はてなのIDは昔から持っているし、はてブは多少使っているのだが、それじゃ「はてな市民」には足りないらしい。
仕方ないので、泥縄式にはてなブログを更新することにした。
だけど、こんなことしてて、いつキーワードの編集権限が与えられるのだろう?
だれか、はてな市民の人、直してもらえませんか?
メルマガを整理していたら、ブログを作ってしまった
はてなブログがオープンβになって誰でもブログを作ることができるようになったと、はてなのメルマガに書いてあったので、さっそく作ってみた。
もともとは、お正月なので、不要なメルマガを整理しようとチェックしていて見つけたのだ。大手サービスプロバイダから来るメルマガに意味のある情報はほとんどないと思ったいたけど、たまには役に立つじゃん!
本が好き!に"「IT断食」のすすめ"という本が献本できて、非常に興味深いテーマだったので、献本をざっと読ませていただいた。
テーマや切り口はなかなか面白いのに、文章というかコンテンツの質がちょっと低くてとても残念な本なのだが、それでも鋭い指摘がいくつかあって、とくにメールの弊害については、非常に頷けるものがあった。
「ICF」(情報とコミュニケーションの洪水)と「BLT」(バカのロングテール)という2つのキーワードを定義しているのだが、その問題の根本原因になっているのが、不要なCCの連鎖と「念のために購読している」メルマガだというような話だ。
こういった問題については、テーマ毎にMLを作るとか、受け取り時にフォルダに自動振り分けするとか、高速にメールを処理できるキーボードショートカットを使うと言ったテクニックを活用すれば解決できる。でもそもそも、そんな工夫をしても、再利用できる情報はごくわずかなのだから、そもそも受け取らないのが一番効率いいというのも事実。
僕も前から「IT断捨離」みたいなことを考えていたので、最近は時間ができると不要なメルマガ解除をこつこつとやっているが、世の中にはメールのリンクをクリックするだけで解除できるスマートなものもあれば、何度トライしても解除できないサービスもある。
こういうところに、サービスの根本的な「質」が見えるなあ、と思う。