To be or not to be

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君の名は。とシン・ゴジラと細部にこだわるヲタクの限界について

君の名は。』をようやく見ました。1カ月ほど前に平日ふらりと映画館に寄って見ようとしたら満席で、「え? 公開から日にち経っているし、平日なのに?」とビックリ。反省して、前もってネットでチケット予約して行ってきました。早めにチケットを確保したでの、中央の一番良い席で見ることができました。

 

■細部はいろいろ気になる

 感想はといえば、最初は細かい疑問がありました。特に主人公ふたりの入れ替わりについては、同い年とはいえ、お互いの存在をまったく知らなかった2人が急に入れ替わって、誤魔化しながらも日常生活を営むことが本当にできるのだろうか? というのが最初の疑問。男女の入れ替えといえば、大林宣彦の名作『転校生』ですが、あれは同じ街に住む同級生ですからね。いろんな状況を共有しててお互いのみが入れ替わったからあまり無理を感じなかった。

 でも大都会・東京に住むイケメンボーイと飛騨の山奥で代々神職の家に生まれた少女が入れ替わって生活が成立するのか? はかなり気になるところ。でも、そこのハテナこそ、観客の興味を引き込むひとつの釣り針だったと思います。

 思えば、細部にはいろいろ釣り針が仕掛けられていました。物語のひとつのキーになる「口噛み酒」についての姉妹の掛け合いも、たしかに違和感あるのですが、その違和感こそ新海誠が仕掛けた釣り針だと思うんですよ。9歳と16歳があんな会話するのか? 中のおっさんの妄想じゃないのか? みたいな感想もあるみたいですが、全然ありうると思います。世の中には子供らしい子供もいるけど、中身が最初から大人な子供もいるんです。僕自身がそうだったから、その手のお子さんに会うと一発でわかります。逆に自分の子供が、本当に絵に描いたような子供だったので「子供らしい子供って本当にいるんだ!」とビックリしたくらいです。

 芸能界を見ても、芦田愛菜ちゃんなんて、8歳くらいから中身が大人だった感じですが、いま世界を席巻中のアイドルユニットBABYMETALのMOA-METALこと菊地最愛ちゃんも、小学生の頃から「アイドルだけどアイドルオタク、ちっちゃい大人」と自己紹介ソングで歌っちゃうくらいにオヤジの心を知り尽くしていたことで知られています。

 

■ディティールにこだわった2つの作品の本質

 閑話休題。『君の名は。』の魅力は、アニメであるにも関わらず、細部まで非常にリアルに構築された日常世界の描写や主人公達の感情描写にあります。だからつい、“すべてがリアルでなければいけない”というトラップに、特に細部にこだわるヲタク層がハマってします。それでヲタクはディティール論をあれこれ展開するわけですが、物語の本質はそこではないでしょう。置かれたありえない状況の中で、主人公達が何を感じ、何に挑み、何を成し遂げたか。そこが物語の本流で、細部の描写は物語世界を補強する足場に過ぎないのに、なぜかみんな「彗星が…」とか足場の話ばかりしている。

 足場ばかり話題になるといえば、『シン・ゴジラ』も同じです。これも僕は大好きな映画なんですが、自分の中でこの映画について何を語るべきなのか、ずっと整理できていませんでした。確かに『シン・ゴジラ』の作り込みは凄い。膨大な登場人物たちが延延と会議と調査を重ねながら、ゴジラ対策を立案し、実行していく。そのプロフェッショナリズムの描写がとてもカッコ良くて震えたのは僕も同じです。でも、「シン・ゴジラは会議が長いから凄いんだ」とか、「自衛隊の出動シーンで『宇宙大戦争マーチ』が使われているから凄い』とか、本質ではないですよね。確かにそこもいいのだけど、所詮は足場の話です。物語の核ではない。

 『君の名は。』と『シン・ゴジラ』は、実は物語の核の部分は同じモノを描いていたと思います。それは「勇気」と「共感」です。小さな個人の力ではどうしようもない圧倒的な「力」を前にしたとき、人はどう行動するのか? 普通の人は逃げるか諦める。でも、主人公は全力で逃れられない運命に抗おうとする。そして、それに共感して一緒に戦ってくれる人たちがいる。助けてくれる人がいる。僕らはそういった「勇気」と「共感」を目撃したときに感動します。

 今はフィクションでもノンフィクションでも、いろんな勇気と共感が取り扱われ、作品化され、商品化され消費され続けています。そんな中でもこの夏、君の名は。』と『シン・ゴジラ』が大勢の人に支持されたのは、そこに示された勇気と共感がとても力強く納得のいくモノで、観客の僕らも一緒に共感できるものだったからでしょう。

 

■ボーイ・ミーツ・ガールのいろんな答え

 シン・ゴジラ』の場合、ゴジラという未曾有の災難とどう戦うのかと、そこで示される「智恵と勇気」が大きな一本の太いテーマになっていました。君の名は。』はそれに加えて主人公の少年と少女の関係はいったいどうなるのか? というもうひとつのテーマがありました。いや、むしろそれこそが君の名は。』の本質であり、絶大な脅威に対する勇気と行動のエピソードですら、2段目の足場でした

 「ボーイ・ミーツ・ガール」という普遍的な物語構造に対して、過去に膨大な物語が作られてきて、新海誠もそのテーマでずっと作り続けてきた作家です。僕はその全部を見てきたわけではありませんが、思春期の細やかな心のひだの描き方こそ新海誠作品の魅力のひとつであると言えるでしょう。でも、青春の描き方の細部ばかりに注目して「新海誠作品はみんな同じ」と切り捨ててしまうのも、木を見て森をみないディティール偏重主義なんじゃないかと思います。

 僕が君の名は。』に感動したのは、やっぱり物語が良かったからです。少年と少女の強い思いが、いろんな不可能を乗り越えていく。そこに感動したから、小さなディティールは最後には目に入らなくなる。青春の物語作家として、新海誠は順調に進化していると思います。

 

ディティール好きオタクの限界 

 「ヲタク(オタク)」という言葉は、会話のときに相手に向かって「お宅は(何が好きなの/どう考えているの/etc.)?」という問いかけ方しかできない、一部の不器用なマニア層を指す言葉として発明されました。僕自身も典型的なマニア気質で、趣味の話をするのが大好きで、いまだに暴走することもありますが、でも氾濫するディティール論にはちょっと違和感を感じます。

 ディティールが不要とは言いません。あの勇気に共感できるのは、細かに積み重ねられたリアルな物語世界があったからです。でも、ディティールばかり気にして、その一部が自分の知識や常識と異なるからと言ってケチをつけるのはお門違いですし、自分の気に入ったディティールの話ばかりするのは、作品の話をしているのではなくて、自分の趣味の話をしているだけです。

  ヲタク語りは、それじたいがコンテンツになるくらい面白いものにもなり得ますが、物語はもっとキャラクターやエピソードの魅力で語られるべきだと思うのです。

 僕の好きなシーンをひとつあげると、君の名は。』では、美術の時間にヒロインの三葉が思いっきり机を蹴飛ばすシーン。ホンの数秒のカットですが、あそこにいろんな要素が詰まっている。そういう説明的で無くいろんなことを説明してしまうのが映像作家として深海誠の凄いところだと思います。

 『シン・ゴジラ』では、「仕事ですから」と「良かった」ですかね、やっぱ。