To be or not to be

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アイドルとコール、もしくは呪術的な「祭礼」としてのアイドルライブについて

■なぜ、歌っているときに観客が叫ぶのか

アイドルをよく知らない人にとって、もっとも許容しがたいのが観客が叫ぶ「コール」かも知れませんね。

「なんで、歌手が歌っているのに、観客が大声あげるのか。静かに聞け! じゃなきゃ出て行け!」

と思ってらっしゃる方も多いと思います。

昭和の昔だと法被を着た親衛隊が歌唱の間隙に「L・O・V・E、○○ちゃーん」とか叫んでいるイメージですが、最近のアイドル現場では、

「イエッタイガー、イエッタイガー、イエッタイガー、ファイボ・ワイパー!」

などと、もやは何語でもない呪文を唱えるのが常態化しており、これに対するアイドル運営側の対応もさまざまです。

私立恵比寿中学』の運営は、「イエッタイガーなど、意味不明な言葉をライブ中に叫ぶこと」を明確に禁止していますが、一方で昨年解散した『ベイビーレイズJAPAN』は運営自らが「最高のイエッタイガー」を標榜していました。

実際、アイドルオタクにとって、ベイビーレイズJAPANの『夜明けBand New Days』の落ちサビ歌唱明けの空白で「イエッタイガー!!」と拳を振り上げて叫ぶことは、何にも代えがたい最高の体験のひとつでした。

 

■アイドルライブとは「祭り」なのだ説

アイドルライブは「コンサート」であり「音楽を聴く場」であるのは確かですが、現在はそれよりもアイドルと観客が激しく感情を沸き立たせながら一体感を作り上げることでエクスタシーに達する、一種の「祭礼」の場として機能しているというのが実際です。

その場において、アイドルは踊る巫女であり、歌うシャーマンであり、あがめられる依り代になります。

個人的な体験から言っても、アイドルライブに参加するという行為は、祭りの御神輿を担ぐのに非常に似ていました。御神輿では「セイヤ、セイヤ」などと唱和しながら動きを合わせて一体感を感じることに醍醐味がありますが、アイドルライブでも同じように、曲の決まった場所で決まったコールや動作を一緒に行っていくうちに一体感が高まっていき、最後に一緒にジャンプしたりすることで、とてつもない開放感が得られます。

かつて「祭り」は、農作業など日々の退屈を発散させる最高のエンターテイメントの場だったはずで、現在はその祭りがアイドルライブによって置き換えられている側面があります。また、アイドル運営も日常を忘れて発散する場所としてライブを提供することが価値なのだと認識しているはずです。

 

「コール」を巡る文化的衝突

現在のアイドル現場のコールやオタ芸には一定の作法が決まっていて、初見のアイドル現場でも慣れたオタクならすぐに順応できるようになっていますが、一方でどこでも同じコールを叫ぶオタクに対する批判もあったりします。

一番有名なコールは「MIX」と言われる「タイガー、ファイヤー、サイバー、ファイバー、ダイバー、バイバー、ジャージャー!」というモノなんですが、これ自体が呪術的な発想から生まれたもので、一般にはそのアイドルの代表的な盛り上がり曲のイントロで上述のカタカナ英語で唱えます。さらに一番と二番の間の間奏では日本語で唱えますが、その他にアイヌ語版もあったりして、どこで何を唱えるかの細かい点については宗教論争が発生しがちです。
(MIXは、その発生起源から「コール」とは別モノとする意見もあります)

また、一般に音楽に詳しい「楽曲派」が支配的な現場ではMIXを嫌う傾向があって、今年2月のさくら学院のバレンタインライブでMIXを打ったオタクがいたときは、父兄(さくら学院ファン)の間では嫌悪と激怒が渦巻いていました。

本来は一体感を得るためのコールなのですが、MIXを唱えること自体に快感を感じるMIX中毒みたいなオタクがいるのも事実で、TPOをわきまえずに自己中心的にMIXを連打することで、むしろ空気を乱してしまうこともあります。

一昨日僕が行った『Fullfull pocket』(フルポケ)は、昔はさくら学院父兄も多くてあまり派手なMIXはなかったのですが、メンバー入れ替えとともにオタクも入れ替わっていて、ちょっと過激化している傾向がありました。

フルポケはオタク獲得とライブ盛り上げのために、公式がコール学習動画を公開したり、ライブ中もアイドル側からコールのタイミング出しをするなど、コールに対してかなり積極的なグループではあるのですが、一昨日のライブでは、一部のオタクがかなりギリギリの線で暴れていて、リーダーの石井栞ちゃんも一瞬困惑の表情を浮かべていました。

ほかのアイドル現場では、オタクの熱狂がエスカレートしすぎて営業妨害になってしまったり、暴力沙汰になってしまうこともあり、何をどこまで規制するかは、常に課題になっています。

人によって自制心はさまざまなので、どこまで行っても答えのない問題ではあります。