To be or not to be

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「日本では強い女の子は圧倒的に損なのだ」という謎

「日本では強い女の子は圧倒的に損なのだ」

https://www.hayakawabooks.com/n/n43e828d04384

 

これたぶん、全国平均的には事実なんだろう。僕自身は、いろいろな会社を転々としてきたけど、どこも大きくても小さくてもITでベンチャーだったから、比較的民主的で女性がおおっぴらに抑圧されていることはなかったと思っている。

でも、ネットでは酷い差別の体験談とか、女性から社会に対する恨み辛みに出会うことも日常茶飯事で、自分は日本の社会の上澄みみたいな幸運な領域で生きているのだなと思う。

それにしても「日本では強い女の子は圧倒的に損なのだ」というのは、とても不思議なことだな。いまの日本では、フィクションの世界では「強い女性」が圧倒的に好まれる。典型は、宮崎駿のアニメに出てくる女性たちで、ナウシカやキキみたいな可愛いヒロインだけでなく、クシャナとかドーラとか、エボシ午前、モロの君、湯婆婆…みんな好きでしょ? 特に僕はドーラが大好きなんですが。

ここら辺はまだしも、いまの日本のマンガ・アニメ・ゲーム界隈には「戦闘美少女」的な主人公が多すぎて、ちょっとキモチ悪いくらいだったりする。強い美少女が悪くて醜い男を倒すさまに、多くの男性ファンは倒錯的な喜びを感じているのだろうか。

正直、僕自身の中にはそういう倒錯的な感情はかなりあると思う。例えば、男性主人公が強大な敵と智恵と勇気で戦う『とある魔術の禁書目録』よりも、そのスピンオフで“強大な敵”のひとりである女子中学生を主人公にした『とある科学の超電磁砲』のほうがだいぶ好きなところとか。

先日のスゴ本オフでゲットした冒険SF小説『グラン・ヴァカンス』でも、主人公は少年だったけど、謎の侵略者から世界を守る戦いの中心になるのはやっぱり5人の女性でした。世界を救う強大な力の担い手は女性で、主に男性は純粋な愛によって強い女性を支える、というのが今の日本のサブカルで人気のある物語構造のひとつなのは間違いない。

リアル社会では、女性に“女性的”な役割を押しつけながら、フィクションの世界では、女性に“男性的”な役割を持たせることに喜びを感じている? なんなんでしょうね、このミスマッチは。

それとも、“女性性”を押しつける男性と、“男性性”を押しつける男性は別の層なのでしょうか。さらに言うと、押しつけているのは、男性だけなのか、それとも男女両方がジェンダーの“押しつけ”をしているか。

もしくは、ジェンダーはそれぞれの持つ願望を表出しただけの、単なる同調圧力なのか。

 

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