To be or not to be

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カウンターカルチャーを責めないで〜またはオーガニック原理主義の闇について〜

 佐々木俊尚さんのcakesの記事「反逆文化の成り立ち/アウトサイダーとしてのエリート意識【第5回】」という記事で、オーガニック原理主義カウンターカルチャーの関係について述べています。

 これは佐々木俊尚さんの『そして、暮らしは共同体になる。』の全原稿をcakesで公開する、という新刊プロモーションで公開されたものです。

 ここでカウンターカルチャーについて書かれていたので、ちょっと触れてみます。

 

■反権力、反体制育ち

 僕は反権力、反大企業、反大衆消費社会といったカウンターカルチャーが正しいとすり込まれて育った世代です。ぼくらが聞いてたラジオのパーソナリティとか読んでいた作家とかにそういう方向性の人がいて、そういう考え方が新しくて正しいと思ってきました。ラジオやテレビだと永六輔がそんな感じでしたし、作家だと初期の平井和正などのSF作家もそうだったし、朝日新聞の記者だった本多勝一著作も、中学校の美人の同級生に勧めらて読んで影響を受けました。その子は、イガラシさんという、美人でスタイルが良くて頭が良くて運動もできて、しかもリーダーシップがあって面白いことを率先してやる子でした。お父さんはたしか大学の先生だった気がします。その子がクラスの図書係になって、期限内に返さないと「図書裁判」にかけられるってルールを作った。で、ルールを破った奴が実際にでてきて、放課後クラス全員残って裁判をやりました。図書係が検事で被告には弁護人がついて、まあ裁判ごっこです。これが超楽しみでクラスがめちゃ盛り上がった。ただ、実際の裁判は正論が多くて最後はいまいち尻すぼみになって大盛り上がりで終了とはならなかったし、そのせいか2回目はなかったのですが、でも、あれは面白かったです。

 話がずれましたが、そういうクラスのちょっと面白い子から本多勝一の「殺す側の理由」や「殺される側の理由」を読んで影響を受けました。さらにその後、本多勝一がリコメンドしていた、宗教学者山本七平著作キリスト教に関するウソや間違いを暴きまくった「偽ユダヤ人と日本人」も読んで感銘したりしました。

 音楽も基本的に反体制な歌詞のフォークやロックの雰囲気がまだ残っていたりしてて、僕らの世代にとって、反体制って若者にとってデフォルトに近い感じがありました。

 

FUDで脅かす人は信用できない

 でも子供心にも、本多勝一の書いていることに全部納得したわけではなくて、例えば「田舎のおじいさん、おばあさんのほうが都会の人より正しいことを知っている」みたいなことを書いていると、普通に「そうかなあ?」と思いますよね。ずっと後の話で、アスキーで雑誌編集者になったときも、本多勝一南京大虐殺の際に日本軍人が軍刀自慢で中国人を100人切りしたエピソードを書いてたことについて、当時僕が担当していた筆者の国友正彦さんが、「僕の家は刀鍛冶の血筋なんですが、日本刀で100人なんて切れるわけがないんですよ」なんて話してて、やっぱそうなのかと思ったり。

 日教組の問題についても、高校生ぐらいから、そういう情報を発信するやつがいて、そもそも若者だから、既存のものに反発したいという気持ちがまずあって、反体制的な考え方を門前の小僧的に覚えたのだけど、さらに反体制の変なところにも気がついて、反・反体制的な考えも持つようになった。

 だから僕の中では、素直な子供時代にすり込まれた反体制的な姿勢がデフォルトになっていて、今の若い人達が体制よりの姿勢をとったり自民党を無批判に支持するのを見るとビックリしちゃうんですが、同時に、3.11をきっかけにした原発問題とか沖縄の基地問題に関連したオスプレイの配属問題とか見ると、反体制側の態度や姿勢についても疑問をもってしまって支持できなくなった。

 細かくはここでは触れないけど、反体制派の人達の意見って、基本的に科学的でも合理的でもないことが多い。反体制のプロパガンダの基本はFUDFUDってFear=恐怖、Uncertainly=不安、Doubt=不信の頭文字をとってFUDっていうんですが、放射能怖いよ、電磁波怖いよ、オスプレイは危険だよ、みたいにこれ使う人たちは基本的に信用ならない。まあ、ネトウヨFUDをよく使いますが、つまり、いわゆるパヨクもネトウヨも、相手を叩きのめして自分の主張を押し通したいだけの人々で同質だなと。信用できないし、支持できないという点では同じだと思っています。

 反体制のFUDといえば、大ヒットした『買ってはいけない』シリーズとか、最近だと『貧困大国アメリカ』シリーズとかが典型的だと思います。

 

■オーガニック原理主義者のFUD

 FUDで信用できないと言えば、佐々木さんがオーガニック原理主義と呼んでいる、自然食についての情報も同じですね。近年で有名なのは、ヤマザキの食パンが何日経っても黴びないという話。普通の家庭で作ったパンはすぐ黴びるのに、ヤマザキの食パンはなかなか黴びないのはおかしい。身体に悪い保存料が大量に入っているに違いない、という言説が定期的に流れてきます。これの答えは、家庭の台所は雑菌だらけなので、そんなとこで作ったのがすぐ黴びるのは当たり前。ヤマザキなど食品メーカーは高度な無菌状態で作っているから、未開封ならずっと無菌だからカビも腐敗も進まないし、開封してもそもそも雑菌まみれの家庭で作ったパンよりは黴びにくいのは当たり前。でも、オーガニック原理主義の人達は、「手作り」が何より尊いと思っているから、そこで思考停止してしまって、科学的な条件について考えるということをしない。

 同じく市販のペットボトルの緑茶は、中国で廃棄用の汚染されたクズの茶葉を使っているから危険だというのもときどき流れてきますが、これも典型的なFUDネタですよね。そもそも、大企業はそんなリスキーなことをしなくても、安全な茶葉を大量に買い付けて工場で効率的に生産した方がコストダウンできる。ここら辺も企業経営や経済の知識が少しでもあれば直感的におかしいと思えるはずですが、、思考停止しちゃっている人達はそこまで考えが回らずに、逆に信じてウソの情報を広めてしまう。

 

カウンターカルチャーはなぜ生まれたのか

 なぜ人はこんなに愚かなのか? 佐々木俊尚さんは、その根底には「多くの消費者は騙されている」「大企業は私たちを騙そうとしている」「政府は信用できない」という考えかたが背景にある、としています。そうなってしまう根本の原因については、カナダの哲学者ジョセフ・ヒースの著作を引用して、次のように紹介しています。

 1960年代から70年代にかけてドラッグ、ロックンロール、ヒッピーなどのカウンターカルチャーが生まれました。それが生まれた要員はふたつあり、ひとつは大衆消費文化の急速な広まりに対する反発、もうひとつは第二次世界大戦中のナチスドイツで蔓延ったファシズムの台頭があったことだというのです。ナチスドイツが行ったのは暴力で国民を支配する恐怖政治ではなく、国民をうまく扇動して喜んで協力させることでゲシュタポが処理しきれないほどの密告が寄せられたというのです。

 ナチスドイツがさまざまな宣伝で国民を洗脳して、戦争に向かわせ、ユダヤ人の大量虐殺をまで引き起こしたのは有名な話です。それゆえに欧米では政府や大企業など体制側は国民を常に騙そうとしているという不信感が基本的な態度として身についてしまっているということのようです。

 

ジョブズを殺したオーガニック原理主義

 佐々木さんの主張について、まずオーガニック原理主義カウンターカルチャーの結びつきの深さについては、僕もうなずけることがあって、たとえば、アップル創業者のスティーブ・ジョブズも、カウンターカルチャーやヒッピー文化の影響を強く受けたひとでした。それゆえにオーガニック原理主義的なところがあって、若いときは「林檎しか食べてないから風呂に入る必要はない」と言い放って悪臭を社内に振りまいて迷惑をかけたり、キャリアを積んで成功したあとも脾臓癌の診断を受け入れられずにマクロビ療法に走ってしまい、正式な癌治療を受けるのが遅くなってしまった結果、50代の若さで命を落としてしまいました。カウンターカルチャーを好む人は、オーガニック原理主義にもはまりやすいのは確かでしょう。

 また、大量消費文化への反発がカウンターカルチャーを生んだというのもだいたいうなずける話です。先日、アメリカ音楽史という本を読んだのですが、米国では米国発の文化の収集と定着を狙って整備された米国の民謡が、反大衆消費文化、反都市文化の宣伝メディアとして"フォークソング"となり、その反体制色が濃くなりすぎた結果として商業主義と相容れなくなり、レコード会社が「カントリーソング」というカテゴリを別途立ち上げて、両者は別々に進化することになったそうです。

 

ナチスドイツだけが国民を騙したの?

 ただ、もうひとつの根拠であるナチスドイツのプロパガンダに騙された経験が政府や企業を信用しない態度を形成しているという話については、ちょっと疑問があります。ナチスに騙されたのはドイツ国民であって米国やカナダの国民ではないからです。日本でも政府や企業の発表を「大本営発表」と第二次大戦中の戦意高揚のために水増しされた戦果の発表になぞらえて揶揄することがよくありますが、そもそも、国が国民を騙すことはナチスドイツに限らず世界共通で行われていることです。

 とくに米国は陰謀が得意で、近年ではイラクに「大量破壊兵器」があると主張して、国連各国までたきつけてイラク侵略戦争をしかけて、それなりに幸せだった国をメチャクチャにしてしまいました。米国はその前の湾岸戦争のときも偽のクエート人に議会で演技の証言をさせたとか、第二次世界大戦でも対ドイツに参戦するためにウソの理由を作って国民を騙したとか、その手のエピソードに事欠きません。日本の南京大虐殺も、米国が日本を悪者にするために捏造したのがそもそもで、後に中国がそれをさらに利用したという説も、もしかしてそうかな、と思わせられます。

 僕が思うに、国が国民を騙してきたのは、歴史上普遍的な現象で、情報公開制度などが発達して国がウソをつきにくくなった現代の状況のほうが特殊なのではないでしょうか。カウンターカルチャーの原因にナチスのプロパガンダへの反省があるというのは、それ以外の政府は正直だったという前提があるのでちょっと無理があるんではないかなと。

 ちなみにAmazonで、『貧困大国アメリカ』を検索したら、著者の堤未果さんの本に『政府は必ず嘘をつく』というのが、政府が嘘をつくのはナチスだけでないことと、カウンターカルチャーの基本姿勢が政府を嘘つきと見ることであるのが、よくわかります。

 

カウンターカルチャーは人間にとって当たり前の事象

 カウンターカルチャーの元になっているには、もっと根本的な人間の欲求があると思います。人間には「寄らば大樹の陰」と大きなものに依存したい、家や村や会社など組織に所属して安心して暮らしたいという帰属欲求、帰属心と、逆に自分の力で生きていきたい、権力者や組織に縛られたくないという独立心の相反するふたつの気持ちがあります。

 これを有名なマズローの5段階欲求、つまり生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、自我欲求、自己実現欲求の5つに当てはめると、帰属したい心は安全欲求や社会的欲求にねざし、独立心は自我欲求や自己実現欲求に根ざしていると考えられます。

 佐々木俊尚さんは、オーガニック原理主義者は「アウトサイダーとしてのエリート意識」から「自分だけが、ほかの人の知らない真実を知っている」と優位に立ちたい、そのためは、「大衆はつねに騙される存在でなければならず、騙す存在がいなければならない」と、構造を解き明かしています。これも根源にあるのは、ナチスへの忌諱というよりは、自我欲求や自己実現欲求の歪んだ形と捉えた方がわかりやすいのではないでしょうか。

 考えてみれば、この現象はオーガニック原理主義に限らず、いまのネットでは、誰かを「情弱」と罵倒しながら、自分こそ真実を知るものとして勝ち誇るマウンティングゲームとして、頻繁に見られるものです。

 カウンターカルチャーじたいは、人間の独立心や自己実現欲求が生み出す自然な産物であり、人間が生きる限りはあり続けるでしょう。たとえば、江戸時代の黄表紙本とか川柳にもカウンターカルチャーを感じ取ることができるように。カウンターカルチャーじたいは否定されるべきものではないと僕は思います。

 

■本当に問題なのは似非科学

 オーガニック原理主義の本当の問題は、科学的に間違った情報が安易に流布されることにあって、そこには詐欺や似非科学や迷信の類が沢山あり、結果的に健康被害を引き起こす可能性があるということです。ジョブズのように正しい癌治療を受ける機会を逃して、みすみす命を落としてしまうことが実際に起きているのです。

 この話は、例のキュレーションサイト問題にもつながります。本当の問題はカウンターカルチャーではなく、似非科学なんじゃないでしょうか。